映画カウンセリング(惑星ソラリス)

惑星ソラリス

SFなのにとても地味。

心理学者が彼の奥さんに対して抱く不安意識が、ソラリスの力で物質として存在してくる。

自分の観念が真実の姿をねじ曲げ、奥さんの魂の素直な存在を不安観念で創造してしまう。その存在は又自殺を繰り返す。奥さんが自殺をするのではなく、心理学者の不安観念が奥さんの存在を自殺する存在として創造しているにすぎなかった。

僕たちの日常における人間関係は全てこれが当てはまると思う。相手の言動を不安で感じるか、愛で感じるかによって、その人の真実はどうであれ、受け取る側の観念によって左右される。そして、受け取る側はその観念と共に事実として確実に記憶する。次に起こる同じような言動は全てその観念が適応される。いわゆる固定観念。

その時彼女は自殺した。ただそれだけのことであり、新しく生まれた(再創造)彼女は無である。愛に満ちている。

これは、自分の再創造のプロセスを語る映画でもあるけど、どちらかというと、相手の再創造を愛をもって受け入れる(赦す)ことの究極の愛を語る映画だと思う。惑星ソラリスは究極の愛を知った二つの一体が行ける至福の場所のシンボルだ。

映画カウンセリング(バンビ)

ディズニーのバンビって映画を見たことありますか?人間は愚かです。

なぜこんなに愚かになったんでしょう。

秘密は心の奥底にある不安。何が起きるかわからない人生、今は平和だけど、沖縄や広島の悲劇は、バンビの森の世界のような平和で安らかなところに突然やってくる。だけど死ぬのは一度。何で死ぬかなんかわからない。そう考えると、もう死んでるも同じって考えてみることもできる。それじゃ、いつ生きてるの?確かなのは今の一瞬だけ、そのすぐ後には原爆が、心臓麻痺が、サリンが…。死んでいるから死ぬのなんか怖くない、一瞬に全人生がある。

その全人生を作るのが過去であり、未来の希望だから、心の中にタイムマシンを持って、今の一瞬を最高のものにすることができる。

過去の自分は死に、今生まれ、未来は生きていない。難しい話はさておいて、楽しく今を生きよう、思い切り。そして、自分以外の人を含む森羅万象の真の幸福を感じることを自分の最高の楽しみに感じれるようになって、そして、その楽しみを自然と追求している自分に幸せを感じる。

そうする人が世界中に増えると戦争は当然なくなる。それが自分の最高の楽しみとできるはずである。実はこれは、全人類だけでなく森羅万象も持つ心と考えてみる。

そして、その考えに従って生きればどんな風に生きていけるのか?素晴らしい感動する映画を見たとき、キムくんも、ブッシュ君も、ビンちゃんも、私も、必ず同じ場面で感動するところがある。

そこで繋がっていけば、矛盾も対立もなくなる。その部分を見つけようとする欲求が、宗教であったり、哲学、心理学、大脳生理学、物理学諸々の人間の知識欲である。

そういうところへの知識欲が芽生えたところから自分を見つめていけるかもしれない。しかし例えば宗教にしても、方法論優先主義だから、当然補足するところも必要。宗教などの方法論の要は生き方ということだからである。

映画を見て考えます
■映画処方例
A.I.(2001)
究極の愛、存在の全て、無条件の愛、創造と宇宙との一体などが描かれています。

しかし、バンビを見て、とても悲しくなるって事は生き方とは関係のない世界。もっともっと奥深い人間の持つ普遍的で久遠な感覚。ぜひ皆さん一度バンビを見て見つめてみてください。自分の心の奥底を。底には愛があるはずです。

私はいつもバンビを見ると声を出して怒り、笑い、感動し、声を出して泣いてしまいます。とても気持ちいいです。気が付くと「やめろっ」「あぶないっ逃げろ」って画面に向かって言っていますね。映画じゃないかって言われればそれまでですけど。映画カウンセリングはそんなあなたと共にあります。

パートナーとの生活と別離は融合か?分裂か?

パートナーとの生活と別離は融合か?分裂か?

人間としての地球生活上の価値観は、趣味や食べ物、行動パターン。ファッション、ありとあらゆる現象的な価値観です。要は好みなのです。単なる好みで現象なのです。

人間の思考の世界が、その思考と同じ世界を社会に創造し、その世界の中で人生を楽しんでいるというものです。

映画「マトリクス」の電脳世界の中での世界で一緒に楽しんでいるという図です。

しかし、マトリクスの主人公のパートナー二人はそこが電脳世界であることを知っているので、いつでも真の世界に戻って愛を確かめ合うことが出来るのです。

地球での人間社会はマトリクスで言う電脳世界、その中で恋をするロマンスをする。生活をする。その電脳世界を愛で満ちあふれた世界に再創造するために。そして、二人でロマンスを繰り広げる。地球生活の冒険を!!楽し—–快感!!それが、男女という相対性の肉体的、精神的融合であり。地球生活上で同じ性質を持つものとの融合意識を創造する。ジョンとヨーコのベッドイン。それが、地球生活上のパートナーが描くロマンス(恋愛のプロセス)なのです。

ロマンスは核融合のように大きなエネルギーが地球生活の現象の中に生まれる為のプロセスです。

地球生活上のパートナーは肉体的、精神的融合を絶えず実現するエネルギー源でもあるのです。

人生においてそのエネルギー源を得ることは大きな力を得ることになります。※陰陽和合

その力は愛を運ぶ原動力となります。しかし、これはあくまで地球社会の中でのことです。

宇宙人として生きている人間の霊的な部分は、もともと全てと一体であるのです。

人間として地球で生きている世界には、そこには根元の光のエネルギーではなく、その光から生まれた、陰陽で相対的なものの融合によるエネルギーが混沌と存在しています。※陰陽と太極

この様に、地球生活上のパートナーを得るためのロマンスは、相対的な世界の一部である地球社会を融合させていくためのエネルギーなのです。

ロマンスが成就し、本質的な同質の部分で融合したとき、私たちは光(ここでは、暖かくて、心地良い楽しい感覚、パッションと説明しておきますが、唯識論では第九意識、心理学では純粋意識から発せられる純粋欲求として説明されています。仏教では如来の光です。)のエネルギーで愛し合っているのです。そして、そのエネルギーは融合しているのではなく、元々一つである事を気づくのです。

もともと、相対的な世界の肉体的、精神的融合はその上に立ってしか行われていないのです。

その延長線上でしかないのです。

その光のエネルギーに条件はありません。

その条件が無いまま肉体的精神的融合をするのです。

そうすれば、肉体的精神的集合によって光のエネルギーを遮ることはありません。

遮る部分がある場合は、光のエネルギーに、すなわち心地の良い違和感のない暖かい方に従えばいいのです。

肉体的精神的融合は相対的であり、不安と愛を含みます。

その融合を光のエネルギーの一体性を上回ってでも望む場合は、その結合は融合と分裂を生むことになります。

光によって相対性があります。いつも光があるのです。光が全てで包括しているのです。その光の意志、無条件の愛を相対性で遮った時に影が出来るだけであり、その影から光が見えないだけです。

光は全てのものに降り注ぐ、そして陰と日向を作る。しかしそれは光から生まれたものなのです。

陰と日向が融合するのも、ただ単に陰が無くなり光に戻るだけなのです。ただそれだけです。

肉体や精神などの相対性物質は相対的に和合融合して光の力を取り戻し、相対性の世界に核融合のようなエネルギーをまとめていくのです。

しかし、相対物は分裂と融合の良質をもっていることを忘れてはなりません。

光に戻るのは融合された場合だけです。

分裂を生むとき、その相対性の世界のエネルギーを放出し、周りの相対的な地球社会に連鎖し、分裂を促進する。核分裂という不安の連鎖が起こります。陰の部分が広がると考えても良いでしょう。

しかし、陰も光の一部であるので、陰が光によって生まれたことを認識したとき、光が陰を創造していることを知った時、その相対物は同質となり和合融合します。

カウンセリングの根本理論はこ陰陽世界における太極を、融合に導き、そして、元々は同じ一体のものであることを気づかせるだけの、思い出させるだけの理論です。

※ここでは、男女の関係という相対的関係をロマンスとパートナーという観点で説明してみました。内容的には考察を促すために、抽象的に表現しています。論理的な説明はここでは展開していません。折に触れて書籍やWIKI・リサーチセンターで発表します。